自己肯定

自分は自己肯定感が低い。しかし、それに相反するパット気が引けるような事実も自分に持ち合わせてはいない。
例えば、本当は一般的に見てもかわいいのに過去のトラウマや家庭内問題など外部的環境の影響で自己肯定感が低くなっている。とか。ごく普通の環境に生まれ、ごく普通に育ち、今まで経験したこともドラマチックになりそうなことは何もない。なのに、いつのまにか、自分の自己肯定感はすごく低く、性格も気づかぬうちにひん曲がってしまった。
せめて、スタイルがよかったら、目鼻立ちがよかったら、せめてせめて、顔がもうちょっとだけ小顔になったら、鼻がもうちょっとだけ小さかったら。
小学校の頃ぶたといわれるようなことはなかっただろうに。小学生は純粋の暴力に満ちている。だからこそ、彼らが言う言葉には大人が言う偽善やひねくれのようなものではなく、事実が多い。

いくら頭を良くしたところで自分の立場を俯瞰したところで窮地に追い込むことの方が大きい。生きている価値があるのか。そんなことを良く思う。とっとと生まれ変わって美男美女、絶世のというレベルまでいかなくていいから一般社会で言われているまあ、かわいい、まあ、かっこいいというレベルの外見とまあまあのスタイルの良さを手に入れた方が人生いいのでは。なんてよく思う。
ほんと、死んだ方がましなんじゃないか。
でもな、死ぬと終わりなんよ。ここで終われないんよ。自分の人生。自首とか自らゲームオーバーするの、ほら、逃走中で一番放送後ネットで炎上する奴やろ?あれにはやっぱなりたくないねん。
最後まで頑張って頑張ってもがいてもがいてくそくそくそくそくそーーーーーーとか思いながら生きていくのがいっちゃん主人公らしいやん。自分の人生の。だから、私はとりあえず生きてる。
抽象を具体にして、その場しのぎかもしれないけど”生きてるだけでも恩の字”とかいうありきたりだけど生きるということの原点を大切にしながら。

 

では、また。
コロナ禍の頃の下書きより。